お疲れさまです。あざらしばいぬ(@AzaraShibainu)です。
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新潟を代表する伝統工芸といえば、燕三条の「鎚起銅器」があります。
ただの真っ平らな銅板を叩いて、叩いて、徐々に見覚えのある食器に仕上げていく工法です。
燕三条駅近くにある「玉川堂」という工房で、どうやら工場見学をやっているらしく、早速向かうことにしました。
工場見学は予約しておくとスムーズに受付していただけますが、当日飛び入り参加でも大丈夫みたいです。
鎚起のようすを最初からみたい人は予約しておたほうがいいかもしれません。
本日は土曜日ということもあり、職人さんは1人をのぞいて誰もいらっしゃらなかったのですが、普段この畳の上で20人くらいが密集して作業している様子を想像すると、テンションが上がりますね。
作業音がどれくらい響いているのかも気になります。
本日出勤していらっしゃった職人さんに、実際に銅器を加工する様子を見せていただきました。(写真も撮影してOKとのことでした)
叩いて加工していくと加工硬化を引き起こすので、焼きを入れて銅の粘り気を出して加工しやすくします。
日本刀の製法にも似たような工法が見られますが、あちらは加工性をアップさせるというより金属組成をオーステナイトからマルテンサイトに変態させて、材料硬さを増加させるのが狙いのような気がします。
完成系は銅系の黄色味のある光沢かと思いきや、ステンレスっぽい見た目をしております。
これにはワケがあって、どうやら銅器の表面にはSnめっきを施すのがほぼ必須だからだそうです。
それと、当然ながら銅器はステンレスと違い錆が発生しやすいとのことです。なので、丁寧なお手入れが必要な、どちらかというと高級外車に近い立ち位置の商品なのです。
職人の技一つ一つが積み重なり、静寂な光沢を放つ一品が出来上がるという訳です。
場所は移り、燕三条の産業史料館にやってまいりました。
こちらで、銅器の興(おこ)りについて勉強していきたいと思います。
燕三条の銅器の歴史は400年近く遡ります。
もともと銅が盛んに採取できていた土地ということもあり、江戸時代前期には釘の生産地として名を馳せていたようです。そこから年月は経ち、江戸時代後期、仙台から銅器の職人が訪れ、技術を伝搬したことで燕三条の鎚起銅器文化の土壌が形成されたといわれています。
今でこそ、銅器は一声数万円と値が張る一級品の風格をなしておりますが、はじめは単なる日用品としての使われ方だったようです。それから、職人たちどうしでどんどんシノギを削るようになり、より繊細なものを・すごいものをと極めていくうちに、今の形になったようです。
余談:世界のスプーン展みたいなのがやっていたので見てきました。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
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